
それが信仰による奇跡の力なのか、自身の内より出る力に因るものなのか、私は自分が「飛べる」ことを
試す前から知っていた。
しかし人前でそんなことをするべきでないということもまた知っていた。
こっそりと、人目を忍んで、地面からほんの数センチの浮遊。
飛行と呼べない範囲でのみの確信。
ある冬の晩。習い事からの帰り途で私は初めて飛んでみた。
自由に空を舞うには慣れが必要だろうが、しかし単純に「飛ぶ」ことは拍子抜けするほどに容易だった。
山の上の神社から毎日見ていたはずの遠景は、ほんの10mほどの上昇によりまったく違う世界となって映る。
空の星のように、しかしもっと眩しく煌びやかな街の灯り。
対照的にまるでそこだけ穴のように暗く、闇ではない名状しがたい色彩の空間となった湖が明るくない
明かりを放つ。
空は遠く、山は霞み、神が渡るはずの水面は何も応えず何も映さない。
そこには「人の世」だけがあった。
…と、東風谷さんがまだ幻想郷に来る前を勝手に考えていたラフ。
今の時代で人一人が空を飛べても何も変えられない。奇跡の力を使えても世の中は変えられない。
そんな、形のない掴み所のない虚しさみたいなのも感じたりしたのでしょうか。…なんてね。
イメージとしては昨年の例大祭で発行した「縁」の中で考えていましたが、上手にまとまらずに未収録
だったシーン。
あの本に関しては、土壇場になって終盤の東風谷さんの性格を一般受けするようなマイルドなものに
変えてしまったことを今でも後悔しています。
当初考えていた、ある意味冷笑的な雰囲気を通せば良かったです。
(こんなの)

(過去にサイトにも載せたかも)
あと、やっぱり頭の中で石鹸屋さんの「神々が別れた幻想の外」とかイメージしてしまいますね。
あの歌もとても好きです。
…webラジオの中で評価してくださったという件は、拍手コメントで教わるまで知りませんでしたが、とても
嬉しいです。
(翌日も仕事でしたしラジオは聴けませんでしたので…)
- 2009/03/19(木) 12:36:52|
- 同人
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0